日本にチョコレートが上陸したのは江戸時代から明治時代の頃だそうです。
これはヨーロッパに遅れること約1世紀となっています。
100年遅れて伝わったのはびっくりですよね、本記事では日本でようやく始まったチョコレートの歩みをみていきます。
日本のチョコレートのはじまり
日本にチョコレートが伝わったのは江戸時代のことでした。
1797年、長崎・丸山町の「寄合町諸事情上控帳」にある遊女の貰い品記録に「しょくらあと六つ」という記載があります。
「しょくらあと」はチョコレートのことで、江戸幕府の鎖国政策の下、出島に暮らしたオランダ商人から遊女がもらったものだと考えられています。
それが日本にチョコレートが入ってきたことを示す最初の記録だとされます。
鎖国環境の中では、中々他国の文化が伝わらなかったんですね。
公式記録となると、明治時代ということになります。
1873年、岩倉具視が欧米視察の折にフランス・リヨンでチョコレート工場を見学したことが、使節団の公式報告書「特命全権大使米欧回覧実記」に記されています。
これが正式な文献に書かれた日本人とチョコレートの出会いとなります。
明治時代のチョコレート工場はいったいどんな感じだったのか気になりますね。
日本人に受け入れなれなかったチョコレート
1877年、日本初のチョコレート加工製造・販売が東京・両国の米津凮月堂で始まりました。
このチョコレートは、原料チョコレートを輸入し、ヨーロッパの菓子職人が加工製造するもので、新聞広告などによってその存在が各地へ知らされました。
しかし、チョコレートは日本人にはすぐに受け入れられませんでした。
従来、牛乳も飲む習慣がなかった日本人にとって、乳臭いものはあまり喜ばれなかったのです。
当時はフレーバー等もそんなになく、乳臭さを補うことが難しかったのでしょう。
しかも、チョコレートには牛の乳が入っているというのを「牛の血が入っている」という聞き間違いからチョコレートを避ける人も多くいたそうです。
また、当時のチョコレートは非常に高価だったこともあり、一般大衆にとってはまだ手が届かないものだったといえます。
一般大衆が買えなかったチョコレートの需要ですが、当時は居留外国人や特権階級がチョコレートの需要を占めていたそうです。
板チョコレートの生産が始まる
1899年、アメリカから帰国した森永太一郎が森永西洋菓子製造所(現在の森永製菓株式会社)を創業しました。
そして、キャラメルやマシュマロといったものとともに、チョコレートクリームなどの製造販売を開始しました。
これが日本におけるチョコレート産業の始まりとなります。
同社は、1903年に大阪で開催された第5回内国勧業博覧会でチョコレートクリームが3等賞を受けたことをきっかけに、1909年日本初の板型チョコレートの生産を開始しました。
この頃もまだ、チョコレートが高価であることに変わりはなかった為、チョコレートは一般にはまだまだ知られていませんでした。
製品に対する大衆の関心を深めることが難しかったところが、この時代の業界の苦心でありました。